「あなた、人を殺した事がある?」
夕焼けの広がる街道はひどく静かで、寂しくて、
「人を殺してみたいと思わない?」
彼女の声がよく響く。
目の前に一人の女性がいた。大人びた感じで、二十歳ぐらいに見える。彼女は薄い赤い色を帯びた夕焼けの光りを体に受けて、こちらに近づいてくる。
綺麗だと思った。
少しもくせがない、腰ほどまである漆黒の髪。色素の薄い、飲み込まれそうなほどに甘美な雰囲気を持った瞳。整った顔立ちは、今まで見てきた誰よりも整っている。
そう、今まで見たことのないような美しさだった。
それは一種、異様ですらあったのかもしれない。実際僕は彼女と目が合った瞬間から一歩も動けないでいた。
「ねえ、どうなの?」
彼女は僕が手を伸ばせばすぐに掴めるぐらいに近づいてきていた。
そのすべてを虜にする瞳が、じっと、まるで獲物を狙っているように、僕の両眼を射ぬく。
「あなたならできるよね?」
彼女の細い腕が、僕の腰に回される。
彼女の綺麗な顔が、僕のまん前までやってくる。
そして、彼女の柔らかい唇が、僕の唇に――――ふれた。
それが、僕と彼女の出合い。
そして、僕にとっての日常が終わりを告げた瞬間だった。
◇
「ねえ、キスしよっか?」
「先輩、冗談言うのは止めてくださいよ。それに今は待機中ですけど一応仕事中です」
僕は目の前の先輩を睨みつけながらそう言ってやる。ちょっと恐いけど……。
「ふ〜ん、そんな事言うんだ。死んじゃってもしらないんだから」
彼女の名前は、恋歌(れんか)。名前しか知らない、偽名らしいのだが彼女はこの名前で呼ぶことを僕に強要する。
「そうやってすぐに僕をからかうんだから……」
「だって面白いもの、有理で遊ぶのは。それに、ほんとにキスしないと死んじゃうかもよ。ゆ・う・り」
先輩の唇がゆっくりと僕の名前を読み上げる。その姿が、妙に艶めかしい。うー、青少年の敵め……。
「先輩はいつも――」
言い終わる前に、先輩の唇がそっと触れるだけで僕の言葉を遮っていた。
「だめ、名前でよんでよ。名前はそれを冠するもの、とても大切なのよ」
反則だ。
いつもそうやって、僕を弄ぶんだ。
恋歌。
先輩である。
恋を歌う、なんていう乙女チックな偽名を使っているなぞの美女だ。年齢不詳であるが、見た目からしておそらく年上だろう。と言っても現在高校一年生である僕の、学校の先輩という訳ではない。
バイト先の先輩なのだ。
「あ〜暑い。日本の夏はどうしてこんなに暑いのかしらね」
そう言いながらひどい薄着で体を仰ぎながら唸っているのは、先輩こと恋歌さん。
「いいじゃないですか、日本の四季ってやつですよ」
隣で野転がってみると、縁側にはわりと涼しい風が舞いこんでいた。
それにしても……この角度からだと恋歌さんの色っぽい体の部分がモロに見えるのですが、これは儲けものだね。
「あんたなんかで遊ぶんじゃなかった。体が火照っちゃって……」
て、遊んだって、やっぱりキスしなくてもよかったんじゃないですか。そうやって、すぐに僕をからかうんだから。
別にちょっとキスしただけだし、それ以上のことは絶対させてくれないくせに……。
「なにふくれてるのよ」
「べっつに――」
と、突然恋歌さんの携帯がけたましく鳴り響く。
て、着信音が「ゴットファザー愛のテーマ」ってどうなんですか?
「あ、あなたね。やっぱりダメだった。そう、わかったは、今から行くから」
携帯を折りたたむと、恋歌さんは急いで腰掛けていた椅子から立ちあがった。
「さあ、仕事よ、仕事!」
ふう、せっかく恋歌さんとのラブラブタイム(?)を楽しんでいたのに、まったく、夏は嫌な時期だ。なんたって仕事の依頼がやけに多い。
僕は深いため息をつくと、急いで床から立ちあがった。
僕達の仕事、簡単に言えば葬除屋さんだ。
ちなみに誤変換ではない、そうじ屋といっても町の美化に一役かっているとか、不法投棄の後始末とか、そんなクリーンな仕事ではない。もっと血なまぐさい、そうだなあえて言い表すならスイーパーの方がしっくりくるだろう。
葬除屋、葬じて除くが僕らの仕事。
そんな僕らの仕事内容は、いたって普通ではない。それは働き始めて数週間ですぐにわかった。 ちなみに、事務所は恋歌さんの自宅と兼用となっている。先輩と言うだけあって、恋歌さんも雇われの身であるらしく、社長さんは他にいるらしいのだが……今まで見た事もない。怪しいものだ。
一人暮しをしていた僕は、その自宅で住み込みで働いている。やましい事なんてなんにも起こっちゃくれないけどね。
まったく、思えば学校帰りの街道で、突然恋歌さんに唇を奪われた時は(ファーストキスだったのに……)もっと背徳的な綺麗なお姉さんと――みたいなことを想像したのに、これじゃあ詐欺に等しいよ。
そう考えていると、なんだか腹が立ってきたので、助手席からマイカーを運転中の恋歌さんを睨みつけてやった。
と、急にブレーキが掛かり体が前に乗り出す。
「ごめん、ごめん、でもほらシートベルトの大切さがわかったでしょ」
まったく、この人にはかないそうもない。
恋歌さんが軽くスタントぎったドリフトで車を急停止させた先には、火曜サスペンス劇場に出てきそうな崖があった。
「ここですか」
「そう今回の仕事場所はここよ」
「そんな嬉しそうに言わないでくださいよ」
「だって自殺の名所で有名でしょ、ここ。すごいじゃない」
何がですか……。
と、心の中だけで突っ込んでおく。今は仕事中なのだ。きっちり給料分は働かなければならない。
「今回のターゲットは女子高生。年齢はそうね、あなたぐらいかしら。少し前に男一人を殺しかけちゃってるから気をつけてね。特にあんたぐらいの男の子は狙われ易いわよ」
「はいはい、大丈夫ですって」
「それじゃあ、捜索開始!」
恋歌さんの声を合図にして、僕達は左右二手に分かれて捜索を開始した。
海原から海の臭いを携えた、生暖かい風が吹いくる。場所が場所だけに、それほど気持ち良いものではない。
まわりの景色も、同じようなもので、雑伐と茂った雑草の中から時折見える、ゴミやら、家具やら、TVやら、自転車やら――綺麗にそろえられた衣服と、靴二足やら。
て、おい。
それはヤバイだろ。自殺か? 自殺なのか……。
僕は恐る恐る、崖近くに置かれていたそれらに近づく。
一歩、また一歩と慎重に、
いやまてよ? 自殺する人間がわざわざ素っ裸になるだろうか? 何かがおかしい。もしかして、これは罠か?
そうだ、きっとサスペンス劇場のごとき展開が始まって、後ろからそっと背中を押されるんだ。
などと、想像を膨らましてみたりする。バカバカしい、そんな事あってたまるか。
崖の先端付近は、力強い海風が吹いていた。
僕は深い、深いため息を付こうとして――――息が止まった。
後ろから何かの気配がする。
一歩、また一歩近づいてくる。
はっはっは、そんなわけないよね。うそだよね、ありえないよね。
そんな僕の希望的観測を打ち砕くかのように、そっと、なにかが僕の体に触れ――――。
「きゃあああああ――――!!!!」
僕の女の子みたいな叫び声が、鳴り響いた。
「ひっく、ひっく、ごめんなさい……」
目の前にいるのは制服姿の女子高生。ショートカットの可愛らしい目をした女の子だ。
で、その女の子は僕の目の前で泣いている。
いや、まて、僕は何もしちゃいないぞ。
むしろ泣きたいのは僕のほうだ。女の子みたいな叫び声あげちゃったし……うう、あれだよ、あれ、サスペンス劇場的な黒幕に殺されるとか考えちゃったんだよ、断じて僕が恐がりなわけじゃないんだ。
「あ〜あ、女の子泣かしちゃった。ちゃんと責任とりなさいよ」
僕の後ろから面白そうにこっちを見ているのは恋歌さん。僕の悲鳴を聞いてすっ飛んで来てくれた。理由は……なんかおもしろそうだったかららしいけど。
「大丈夫? ほら、僕は大丈夫だから気にしないで」
「よく言うわよ。あんな可愛らしい悲鳴あげちゃってさ」
それは言わないで下さいよ恋歌さん。
彼女が泣いている理由は極めて簡単だ。僕に声をかけようとして、僕が悲鳴を上げてしまったから、それに彼女は驚いて泣き出し、今は責任を感じて泣いているのだ。
そう言えばあの衣服と、靴は結局誰のものかわかっていない。恋歌さん曰く「それぐらい落ちてても不思議じゃないでしょ、自殺の名所なんだから」だそうだが、それはそれでかなり問題があるのではないかと思うのは僕だけだろうか。
「あの……本当にごめんなさいね」
うるうるとした瞳で上目遣いで眺めてくる、セーラー服の少女。
やばい、可愛いよ。
「あんたがセーラー服萌えだったとは知らなかったわ」
恋歌さん、いいかげんその手の突っ込みは止めてくれませんかね。
と、こんな話をしている場合ではない。さっさと仕事を始めないとな。
彼女が泣き止んだのを確認してから、僕は口を開いた。
「ねえ、君はなんでこんな所にいるの?」
「なんでって……あれ? なんでだったけ?」
やっぱりそうだ。僕の力もなかなかのものだな。
「この人に見覚えがある?」
「あ、ケンジ君だ。えへっへ〜実は彼、私の彼氏なんだ。この前もね、一緒にこの場所にきて、将来結婚しようなんて話してさ、彼は年上でもう社会人なんだけど私とのことは真剣に考えてくれてるみたいで、実は私も彼との子供なんか授かっちゃったりしててさ、もうすっごいラブラブなんだ。ああ、ごめんなさい。こんなノロケ話べらべら喋っちゃって……」
「いえ、いいわよ、気にしないで、いい彼氏をもってうらやましいかぎりだわ。それでね、彼とは最近会ったことあるの?」
彼女が気を利かして話を止めてしまいそうなって、恋歌さんがすばやくフォローをいれる。
「うん、そうなの。この前もたまたまここで会ったんだけど、なんでかその時は彼が私のこと無視するからその、ちょっと怒って体に触ろうとして……、そしたら急に動かなくなって……」
恋歌さんが被害者の写真をこちらに見えながら、合図を送ってくる。わかりましたよ、事前に僕だって被害者の名前ぐらい知っている、そうたしか……皆川 憲司だったけかな……。
「ごめんね」
一言、謝罪の言葉を立てて、右ポケットに掌を突っ込んだ。鉄の冷たい感触を味わいながら、慣れた手つきで得物を取り出す。
なんてことはない。日本刀なんて物騒なものは持ち歩きにくい上に法律に引っかかるし、包丁なんて家庭用品を使うのもどうかと思うし、この辺が妥当だと思うのだ。
刃渡り十センチ程度のバタフライナイフ。もっともこんなのでも警察に職質されるとかなりやっかいなものなのだが、やはりそれなりの殺傷能力は必要なのだ。
折畳式のそれに手をかけ、汚れなどまったくない新品のような刃を露にする。
ほとんど意識はしていない。無意識にこなせるほど慣れた行為。
なんど味わっても、直前のこの感じは好きになれない。終ってしまえばわりとスッキリとしたものだけれど……。
「え、ちょっと、なんなんですか……」
彼女が怯えたようにこちらを見ている。
正直、最悪の気分だ。けれど今はそれをただ「最悪の気分」とだけ認識し、作業を続ける。無意識に、機械的に、仕事をこなす。
右腕を大きく振り上げ、相手の体に狙いを定める。
右肩口から、胸元を通り、左わき腹に、もっとも効率的なコースを想定して、刃を……気持ちがいいほどの鋭さとスピードで……振り下ろし、
僕は、――を――――――殺した。
◇
「どうも、人殺しごくろうさま」
「いい加減その言い方は止めてくれませんか」
仕事を終えた帰り道での車内。いつものようにへこんでいる僕に恋歌さんが無神経な言葉をかける。
勘弁してほしい、僕は「人」なんて殺していない。少なくても僕は「人以外のもの」を殺したのだと思っている。
「どうして? 真実じゃない。人は肉体を失っても魂だけで生きていける生き物なのよ。だからあの霊体も生きている。それをこの世から消し去ったのだから人殺しよ」
「だからって……、それに僕が祓った霊体達は、成仏して天国とかに行くんじゃないんですか?」
「あら、なんでそんなことが言いきれるのかしら? たしかに、あなたの『祓う』という行為は霊体をこの世から消し去る事できる。けれど、だからと言って、それが天国やら地獄やらに繋がっているかなんて、誰にもわからないことなのよ。死んだこともない人間に、死の先にあるものの真実なんてわからないものなのだから」
「そうだけど……僕は、僕は……」
「ん――、ちょっと厳しく言いすぎたかな。まあ、このへんで勘弁したげる。でも、真実はきちんと真実として受け止めなさい。それが、『こっちの世界』で生きていくための秘訣よ」
「勝手に『こっちの世界』に引き込んだのは誰ですか……」
「何か言った?」
真っ直ぐに前方を眺めたままで、恋歌さんのすごみのある声が僕の耳に襲いかかる。
「いえ、何も……」
それにびびった僕はそう言うことしかできなかった。
目をつむれば思い出す。あの夕焼けの街道でのファーストキス。
あれだ、あれがすべての始まりだったんだ。
あの時、恋歌さんが「キス」という方法で僕に『力』を注ぎ込み、僕の『力』を覚醒させた。『霊体を祓う』という力をだ。それにともなって一般的な霊能力者(霊が見えたり、感じれたりなどなど……)の力を手に入れてしまった僕はあの日を境に、『こっちの世界』に入り込んでしまった。
恋歌さん曰く、「あなたの場合ちょっとのことで覚醒しかねなかったから、結構危ない状態だったのよ。突然そんな『力』に目覚めて気が狂っちゃう奴や、『力』の暴走で壊れちゃう奴や、『力』を過信し犯罪に走るやつとかがいるんだからね」だそうで、感謝しなければいけないのかもしれないけど、本当にこれでよかったのだろうか……ちょっと疑問だ。
そして、恋歌さん自身も有しているこの『力』。一般的には「霊力」と言われるようなそれの中でも、なかなかに希少な『祓う』という力。この力を僕は買われて、こうやって仕事に励んでいるのだ。
もっとも、『祓う』といえば聞こえがいいのだが、その方法はいたって暴力的なものだ。僕の『祓う』ための条件ははっきりしている、霊体を……仮に人間だったとするならばその身体を、刃物によって死に至らしめるほどの殺傷を与えてやればいいのだから……、そうまるで人を殺すかのような行為なのだ。
まあ、いちいち霊体を祓わなければいけないのは、「お偉い方がうるさいのよ」との恋歌さんの言葉からもさっするように、『こっちの世界』にもいろいろとあるかららしいからだったりする。
ちなみに恋歌さん曰く、この仕事はめちゃくちゃ儲かるらしい。たぶん恋歌さんの目的も術中八苦それだろう。
「なにボーっとしてるの?」
そうやって考え込んでいた僕を呼び戻したのは恋歌さんのそんな言葉だった。
ここで真面目に答えると、またからかわれるのは目に見えているので、僕は苦し紛れにもう一つ気になっていた事を言う事にした。
「あの霊体の女の子……自殺だったんでしょうか? それともその……こんなこと考えたくないんですけど、ケンジって男が……」」
「さあ、わからないわね。でも、この世に残っていたのだから、そんなにいい死に方ではなかったんでしょう。まあ、あの年で死んだらだれでも未練が残ってこの世に留まっちゃうのかも知れないけどね。もしかして気にしてる? 気にしないほうが自分のためよ」
「そう……ですね」
深く考えない方がいい事なんてわかっている。
そんなことはわかっているのに……人間ってのは難しいものだ。
目の前の信号機が、黄色から赤色へとその発光位置を変更する。恋歌さんの車が止まった。
「あら、また邪鬼に憑かれてるわよ」
さっきの霊体からもらってきたのだろう。まったく、やっかいな体になったものだ。
「まったく自分じゃまだ対処できないんだから。消してあげる」
そう言うと、恋歌さんは体を乗り出し、その整った顔を僕に近づける。
そして一気に、僕の唇を奪った。
「あの……、あっ……恋歌……さん?」
こころなしか、いつもは事務的に、弄んでいるような口付けがいつもより温かかった。
「サービスよ」
そう言いながら恋歌さんの口付けは、信号が変わるまで続く。
「本当にそれってキスじゃないと出来ないんですか?」
なんて、僕が常日頃から持っていた疑問なんて一瞬の内に消え去っていた。
そんなことなんてどうでもいいのだ。
僕はきっと恋歌さんの「キス」から逃れる事はできない、結局そうやって、僕は恋歌さんの「キス」に縛られているんだ、だからきっと僕はこれからも人を殺し続けるだろう。
「そうだ、このまま晩御飯食べにいこっか?」
「いいですね。そのかわりなんちゃら屋の牛丼は無しの方向でお願いします」
「えぇーー! 美味しいじゃない。牛丼。早くてうまくてやすいんだから。まあ、いいけど……それなら久々にステーキでも奢ったげる。頑張ってくれたしね」
「なんっすか、えっらく羽振りがいいですね」
「なんせ今回の仕事はえらく報酬がよかったからね」
えっへんと胸をはり誇らしげな恋歌さん。その姿を見ているとやっぱり仕事を頑張ってよかったなとか思ってしまう。
信号が赤から青に発光位置を変え、まわりの車のエンジン音が反響し始める。
「よし、行きますか! ステーキ食べに!」
そして、ギアを変えると同時に恋歌さんの車が頭一つ飛びぬけて発進し――――僕らは、再び、進み始めた。
人殺しと口付けと
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